野外上映 きしゅーきしゅー的青春映画セレクションを鑑賞するにあたっての心構え

今年のKisssh-Kissssssh映画祭の野外上映のテーマは「青春と聞いてハナで笑っている人に捧げるきしゅーきしゅー的青春映画セレクション」です。

言い換えれば、

「恥じらいも何も捨てて、最高最強の青春映画を野外上映で楽しもうぜ」

っていうことです。

 

なので、『脱脱脱脱17』『アーリーサマー』のような超新星的なインディペンデント映画だけでなく、『スタンド・バイ・ミー』『リンダリンダリンダ』『キッズ・リターン』のような超どベタ&名作もあります。

 

 

 

 

どうしてこのような青春映画特集を行うことになったかというと、ディレクターである自分の青春に対する妄想に近い執着心からです。

以前から「青春」って言葉が頭から離れませんでした。その甘酸っぱい響き、体育終わり女子のケープの香り、夕陽に照らされた渡り廊下、補欠として座り続けたベンチ、浴衣から見えたうなじ、一人暮らししょっちゅう止まるバランス釜、初めてのアート映画、銀杏BOYZで枕濡らしたあの夜…。青春のことについて考えすぎて、実体験から未体験のことまで虚実混じった記憶を構築するようになりました。いきなり、ゴールデン街で出会った人に有りもしなかった甘酸っぱい学生生活を話す始末。

「青春」というものについてひたすら考え、「青春とは何ぞや?青春とは何ぞや」と絶え間なく自問自答していました。

 

 

でも、気づきました。

そもそも、「青春って何ぞや?」っていう問い自体、青春が死んでいる証拠なんですよ!

「一生童貞、一生青春」とか私的キャッチコピーを掲げていたけど、もう俺の青春は既に終わっていたのです。
いつまでも、青春を求めて彷徨う、ノスタルジーに塗れた青春ゾンビなんだ。

いや、むしろ、「青春」ってものは過去にしかない。「青春」真っ只中の人間は「青春」ってものを認知できないはずです。

だから、高校時代、文化祭実行委員会の奴らの「これってまじ今青春じゃねえ」って言っていた奴らの「青春」じゃない!結局、ドラマとか映画とかの青春っぽいシーンに自分を重ね合わせているだけで、ハリボテだ、まやかしだ、虚偽青春だ……と信じたい!!

 

青春とは、もうどうしようも出来ない、

絶対取り戻せない過去に思いを馳せる行為なんじゃないんですか。

こうありたかった自分、こうありえたかもしれない自分、

その可能性の残滓で青春は構築されているのではないんですか。

 

じゃあ、俺たちは大人?青春が終わっている俺たちはオトナなんですかね?
そりゃ、年齢的には「成人」ってもんがありますよ。でも、それで「オトナライセンス」が発行されるんですか?
20歳超えたのに未だ「大人です」って言える自信は毛頭ありません。だけど、「まだガキなんで」とも甘えられないんですよ。

結局は、オトナという幻の未確認生物を探し求めている限り、何らかの葛藤を抱えている限り、未来の自分が見たら「うわあ立派に青春しているねえ」と言われるんです、多分。
例えば、会社とかで様々な障害がある中がむしゃらに仕事に励むこととか、絶対に届かないであろう堀北真希似の先輩社員に恋することも、後から振り返れば青春なんじゃないんですか。人生において成長痛を感じ続ける限り、青春 イズ ネバーダイ!

宮沢賢治パイセンが言うように「永久の未完成これ完成である」なんだと思います。

 

 

結局、俺たちは青春にとらわれている、青春ゾンビなんですよ。そのことを映画によって再確認しましょう。特に野外上映は環境も相まって青春の密度が倍になりますよー。

大林宣彦監督の『青春デンデケデケデケ』の冒頭、ベンチャーズの代表曲「パイプライン」のデンデケデケデケのサウンドによって、「電気的啓示」を受けるシーンがあるんですが、同様にこのKisssh-Kissssssh映画祭の青春映画どもで「映画的啓示」を受けてほしいです。

別に、それで大して日々の生活が変わるわけではないと思いますが、これから先の人生でそういう愛おしい映画の数々が守ってくれるはずです。

 

kisssh2015087

ライタープロフィール

Naoto Oshita
Naoto Oshita
自意識がスパークしているしがない会社員です。